203 パンフのはじめに、 |
2002/10/29 08:48 |
From:らら
パンフ制作お疲れさまです。そして、ありがとうございます。
何度もパンフ拝見させていただきました。
いつも、何か足りないものを感じていました。
そして、今朝、気がつきました。
私がパンフを受け取った側に立って考えてみました。
するとまず、『一体、なぜ、こんなパンフを私に渡すのだろう?』という疑問が湧きました。
パンフを渡される人は(たぶん)、自分が「リウマチに対する知識が違う」ということも「誤解をしている」ということも知らないと思うのです。
ですから、「パンフの必要性」みたいのをもっと強調してみては?と思うのですが。
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204 Re:パンフのはじめに、 |
2002/10/29 11:08 |
From:にこ
> 『一体、なぜ、こんなパンフを私に渡すのだろう?』という疑問が湧きました。
> パンフを渡される人は(たぶん)、自分が「リウマチに対する知識が違う」ということも「誤解をしている」ということも知らないと思うのです。
たしかに私も、パンフを作っている事を主人や息子に言ってみました。
リウマチについて少しは分かってくれているはずの彼らですが
「どうして?」という疑問の顔でした。
まず、誰に向けてのパンフなのか。
そして「リウマチの事、知って下さい」というような見出しのようなもの?も
ある方が、渡された人が受け取りやすいかも...
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205 Re:パンフのはじめに、 |
2002/10/29 11:21 |
From:ミルクル
> 私がパンフを受け取った側に立って考えてみました。
> するとまず、『一体、なぜ、こんなパンフを私に渡すのだろう?』という疑問が湧きました。
そうですよね。なぜ渡すのか?によって内容は少し違ってくると思います。
同じリウマチを理解してもらいたいとしても、リウマチという病気を理解するのか、リウマチという病気に罹っている私を理解してもらいたいのか、共通して訴える部分と私を理解してもらいたい部分と人それぞれに違いが出てくると思います。
私の場合は以前もお話したかな(?)一番身近な主人にリウマチをもっとわかってもらいたいと思いました。最近はようやく「俺も少しリウマチについて勉強するよ」と、言ってくれてはいますが、「じっとしてれば治る」「関節が痛いだけ」とつい最近まで思っていて、「温泉に入れば治る」とさえ信じてたくらいです。主人だけでなく、自分が一番身近に接する人に理解をしてもらい、リウマチについて今より少し踏み込んで話しが出来る、一緒に勉強(?)できるようになるきっかけをこのパンフでと思っています。
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206 Re:パンフのはじめに、 |
2002/10/29 13:09 |
From:ハイジ
このまえは赤ちゃんのことをほかのひとにも考えてもらってすみませんでした
私はじめのところは今のままでいいと思います。ちゃんとリウマチのことを
あなたにもっと知ってほしいごかいされたままじゃ悲しいという気持ちを
こめてとしてあるし
ラブレターというのんが好きです
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223 Re:パンフのはじめに、 |
2002/11/07 17:38 |
From:三毛子
えっと・・・わたしは、あまり丁寧に意義を説明することはヤメトコと思っている派です。
そういうのはたぶん読んでもらえない、本文に入る前に面倒になってしまう、のではないかと。
わたしたちだったらちゃんと読むと思いますけれど、それはわたしたちがリウマチにいっしょう
けんめいな書き手だからで、そうではない読み手とは温度差がありますから。
そんなわけで、前置きは、へろはる版のはじめの短い文章でも充分、長くても三毛子版くらい
までが限度ではないかと思っています。
> まず、誰に向けてのパンフなのか。
という点については、決まっていません。 誰にでも渡せるようなものというのが目的だからです。
(初心者リウマチャー向け版も作ったら?という話題がでていたことを踏まえて、あえて言うなら
リウマチャー以外ですが、リウマチャーだったらダメというわけでもないです。)
そういう意味からも、なぜパンフを渡すのか、という理由はあまり細かくは限定できないと考えて
います。
> リウマチという病気を理解するのか、リウマチという病気に罹っている私を理解してもらいたいのか
まず、リウマチという病気をおおざっぱにつかんでもらう、という目的で作っているつもりでした。
でも、どうしても個々人が伝えたいことがある、というご意見が多くでたので、フリースペースに
手書きしてもらうことなどを検討中です。
個々人を理解してもらうためには、パンフだけでは難しいと思います、それにはやはり時間をかけて
お付き合いしていくしかないのではないでしょうか。
パンフを作るのは、パンフを渡すのが目的ではなくて、リウマチを知ってもらいたいなぁと思ったときに
そのキッカケとして渡せるものとして用意しておけたら便利だから、というつもりでした。
知ってもらってその次にどうするのかは様々、もちろんその先にはリウマチ患者である自分を理解して
ほしい、ということへも発展するとは思いますが。
なぜ渡すのかをそのときに読み手さんにお話しするのはダメかな? 「わたしがいっしょうけんめい
つくったの、だから読んでね」だけでもいいじゃないですか?
無論、ここまでは1つ意見です。 だから、もっと説明が必要だとしたら、こういう文章にしたら
どう?という具体的な例などをいただくのも引き続き歓迎です。(^^)
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227 Re:パンフのはじめに、 |
2002/11/07 18:58 |
From:ぽぽんた
読む側から言うと、やっぱり最初に薀蓄があるとうっとうしくなると思います。
理解してもらえないからこれを皆でうんたらかんたらと書く必要は
ないのではないかな。
他の病気の方のこういった説明パンフのしょっぱなにそういった書き込みがあった
ときに、しっかり読もうと思う人より、ほったらかしにする人が多そう。
このパンフは前にも書いたのですが、自分でしっかり話すこと、理解
してもらうために踏み出すための杖みたいなものでしょ。
パンフの意義とか目的を絞るのは難しいのではないかな。
パンフを誰にと言うのを特定してしまうと、渡せない相手の方が
多くなる気がするけど、いかがですか。
まず、リウマチがどういった病気か、誤解がこれだけあるんだよからはじめて
自分はこういった状態であることを書き込んで
何を自分が相手に一番理解してほしいか、願っているか、頼みたいかを
その相手ごとに書き込むスペースに書いて渡せば、レディメードで
良いのではないですか。
それを書くとき、自分が相手のどんな動作や言葉にいらだったり
悲しんだりしてるかも確認できると思う。
そして自分はどこまで出来るのかを、認識も出来るのではないかな。
> パンフを作るのは、パンフを渡すのが目的ではなくて
>リウマチを知ってもらいたいなぁと思ったときに
> そのキッカケとして渡せるものとして用意しておけたら便利だから
>というつもりでした。
私もこのパンフを作ると言う話がでたとき、こういった主旨だと思いました。
もし自分の病気や連れ合いの障碍やその他の病気に対しても
パンフを作るとしたら、こう思いますしこういった物を作りたいです。
> なぜ渡すのかをそのときに読み手さんにお話しするのはダメかな?
> 「わたしがいっしょうけんめい
> つくったの、だから読んでね」だけでもいいじゃないですか?
私はあなたと一緒に暮らして行きたい、仕事をしたい、歩きたい
理解してもらえないことが辛い、言葉に傷ついている、泣きたい
だからこんな話を一緒にしたいのですと言わなければ、どんなに心をこめた
パンフでも相手が読んでくれる、その先の理解しようとしてくれる
とは思えないのですが。
障碍があろうとなかろうと、自分できることは自分でしたいし
食事だって、トイレだって、誰かに食べさせてもらうより自分で思うように食べたい
自分がしたいときにしたい、それが当たり前のことだけれど
今の私にはこれができない、皆が簡単にできることでも、こういう手助けが
いりますって伝えることは、面と向かってむずかしいと思います。
パンフは声を出す、きっかけになるのではないかなと思います。
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228 Re:パンフのはじめに、 |
2002/11/07 22:35 |
From:みめ
うん、きっかけだと思っています。
自分の為でなくても、機会を得た時に渡せる物。
誤解している人もいるけど、真っさらな人もいる。
そういう人に正しい認識、私たちが知って欲しい知識をインプットできるかもしれない。
今すぐ効果がなくても、ジワーと効いてくるといい。
そうしたら、これからのリウマチャーの因縁撲滅効果はあると思うの。
勿論、自分のリウマチを説明するきっかけとしての効果もあります。
> パンフは声を出す、きっかけになるのではないかなと思います。
初めの1歩になるといいです。
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229 Re:え?!あの、 |
2002/11/08 17:02 |
From:らら
ちょっと待ってください!
びっくりしましたー。
長い文章が綴られているので、ドキドキしましたー。
えっと、ですね、
私が思っていたのはですね、そんなに丁寧な説明文では決して!ないんです。
(言葉が足りなかったです!m(_ _)m)
たとえば、
『あなたの思う「リウマチ」は間違っているかも!?』とか
『誤解されることが多いんです!』とか
ぐらいの文章かなーと思っていました。
(余談になりますが)
私の経験からいくと、
「リウマチねー、知ってる、知ってるぅ〜」的な反応で片付けられてしまうことが多かったのです。
「違うのよ、そうじゃないのよ」と出ても、それを解くことは・・・出来たのか、出来ていないのか、今でもわかりません。
そして、一度説明してしまうと、聞かれない限り、「リウマチって、こうなのよ〜」とは説明しにくいです。
でも、でも、正直言って、
パンフに依存し過ぎていた自分がいたことに気がつきました。
そうですね、パンフを「声を出すきっかけ」にしようと思います。
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230 (・・?! |
2002/11/09 00:10 |
From:ぽぽんた
> ちょっと待ってください!
>
> びっくりしましたー。
> 長い文章が綴られているので、ドキドキしましたー。
> えっと、ですね、
> 私が思っていたのはですね、そんなに丁寧な説明文では決して!ないんです。
> (言葉が足りなかったです!m(_ _)m)
ららさん、別に言葉が足りないなんてこと無いと思いますがあ。(^.^)
別にららさんに突っ込んでいるのではないんです。
言っていることが違うといっているのではないのです。
それに、私も皆さんもけしてららさんを食べたりしません。爆!!
最初に、リウマチについて誤解が多いというような記述があると
もらうほうも、構えてしまうかなあと思いました。
ラブレターと書かれていて、そうかもしれないと思ったんですが
こうしたパンフを渡す人って、連れ合いだったり、友達だったり、職場の
同僚で、これからもつながりを持ちたい、自分の身体も無理したくないし
という気持ちがあるからだと思いました。
私が友達や知り合いからパンフをもらったとき、こうして説明して
くれるって、一緒にやろうよって言ってもらった気がすると思います。
そして、病気について何もしらずに途方にくれているときに
良い道案内になると思います。
そのためにも、やわらかさがほしいなあって思いました。
甘いかな。r(^^;)
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231 Re:やわらかさ・・・ね |
2002/11/09 11:02 |
From:らら
ぽぽんたさん、ありがとうございます。
すみません、お気を遣わせてしまいましたね。
(食べられなくて、ホッとしました・・・・(なんて・・・))
> 最初に、リウマチについて誤解が多いというような記述があると
> もらうほうも、構えてしまうかなあと思いました。
おっしゃる通りですね。
「構えられる」・・・・それが、一番、怖いかも。
> そのためにも、やわらかさがほしいなあって思いました。
やわらかさ・・・ですね!
パンフを渡されたとき、やっぱり「なぜ?これを私に?」と
思われると思うんです。
それをうまく話していくことにちょっと自信がなかった気がします。
でも、それは、やっぱり私の言葉で繋げていかないといけませんね。
自分のことなんですもの。やわらかく・・・ね。
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234 実際の分量 |
2002/11/11 14:45 |
From:三毛子
ららさんは
> たとえば、
> 『あなたの思う「リウマチ」は間違っているかも!?』とか
> 『誤解されることが多いんです!』とか
> ぐらいの文章かなーと思っていました。
と、いう感じだと、三毛子版程度の分量で足りるということかな?
他の方はどうですか〜?
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235 Re:実際の分量 |
2002/11/11 18:45 |
From:らら
> と、いう感じだと、三毛子版程度の分量で足りるということかな?
はい、そうです(^^)
すみません、ゴタゴタ申しました(^^ゞ
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236 Re:実際の分量 |
2002/11/11 23:16 |
From:MAHO
> > 『あなたの思う「リウマチ」は間違っているかも!?』とか
> > 『誤解されることが多いんです!』とか
> > ぐらいの文章かなーと思っていました。
> と、いう感じだと、三毛子版程度の分量で足りるということかな?
>
> 他の方はどうですか〜?
それくらいの分量でOKだと思います。
「あなたは知ってる?リウマチのこと」とか・・・。
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237 Re:実際の分量 |
2002/11/13 01:46 |
From:のらこ
> と、いう感じだと、三毛子版程度の分量で足りるということかな?
私もこの分量でOKだと思います。
このスレッドを読んでいて、考えて見ると「リウマチ(患者も)のこと、誤解しないでっ」という思いが強いと思ったので、そこをさりげなく強調できるような文章がいいのでしょうか。
「そうじゃないんです……」なんて、全然さりげなくないですね(^^;)。うーん、難しいですね。
あと、三毛子さんが下に書いているプラスアロハの意見の3点目、
>なんにもできないわけじゃない、自分でやりたい気持ちでいっぱいだけど、
>無理なことやしてはいけないことが色々とあって困るっているのも本当です。
というような文章を入れるのは大賛成です!
「なんだ、できるじゃん。これだけできるんなら大丈夫よね」なんて言われたり思われたりすると悲しいですしね。
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